変わらない景色を見る人

下北沢で飲み始めて10年になる。きっかけは当時付き合っていた彼女が下北が好きで良く飲んでいたのだが、罰ゲームで普段絶対に入らないようなもっとも入りづらいお店に入ってみよう、という試みで入ったのが当時の東京DOMEだった。そして元彼女はその店で次の日から働くことになる。

普段チェーン店でしか飲んだことがない自分にとってはとても新鮮であり、刺激的な毎日がスタートした。お酒という共通点しかない色々な人と仲良くなってしまう。一回り下の大学生から50歳前後のおじさんまでが同じカウンターで仲良く飲んでいる光景はある種の天国のような光景だった。

その元カノと付き合っている時は順調な毎日だったのだが、色々あり三年半の交際は終わってしまった。その瞬間、元カノ側に付いたと思われる人たちからの容赦ない攻撃にびっくりしてしまった。村社会の裏側を見た気分だった。

そこからは適度な距離感を保ちつつ、利用するようになり現在に至る。自分が心から尊敬する友達も出来た。色々あったがそれだけでも十分な収穫のような気がしている。

いつも行く飲み屋にいつものメンバーがいて、いつもと変わらない景色がある。それはとても救いにもなるし、そこで恋人を見つけ人生を謳歌する人も多くいる。ただいつもと同じ景色を見続けれることは自分にとってプラスになるのだろうか。10年~20年後に通い続けてよかったと心から思えるのだろうか。ただ単に自分が楽な環境下にいるだけではないのだろうか。たまたま週末に予定があり飲みに行かない日が続いた後に、ふと我に返ったように、そう思ってしまった。

水槽が二つあるとする。一つは一匹の魚しかいない水槽。もう一つは天敵はいるが食べられて絶命してしまうほどではない適度な天敵がいる水槽。どちらの水槽の魚が長生きするかを比べたところ、後者の水槽の魚のほうが長生きしたらしい。要は適度なストレスがあったほうが人は長生きする、ということである。

別に自分は長生きしたい、とは思ってはいない。ただ変化が欲しい時期なのかもしれない。安心出来る環境があるからこそ、変化を求めることが出来るのかもしれない。季節の変わり目のせいか、そんなことを思った。

自分から見た正義

正義の反対語はなに?答え:他人の正義 
どこで聞いたか覚えていないがお互いが自分の正義を振りかざしてぶつかり合うなんてよく聞く話だ。今まで2回転職をして、色々な人に会ってきた。やはり仕事というのはその人の性格を本当に良く表している。そして上司たるもの、偉い人ほど人格者であるべき、という私の期待は散々裏切られてきた。今の会社は前職・前々職に比べて間違いなく最高の環境である。年収・休み・人材 など。ただそんな会社でもあの人がそんな性格だとは知らなかった、なんてことがあった。そしてこれからもそういうことがあるのだろう、世の中は無常である。

闘い続けること、が自分の正義かもしれない。新卒で入った会社は有休を使うと上司から怒られた。残業申請をするとひどく怒られた。それでも無視してそれを続け、結果として労基が入りすべて保障されることになった。この戦いは自分の勝ちであった。勝ちといってもいかに自分が無力か思い知らされたし、タイミングが良かっただけだった。

二社目では明らかに結果を出しているのに上司が私を気に入らなかったらしく、評価を下がられ続けた。確かに上司を上げるタイプの人間では無かったし、意見をストレートに言うので可愛くはなかっただろう。ただそれと結果は無関係だ。そのうち私は結果を出すことを辞めてしまい、腐ってしまった。そして腐りきったのちにこのままではマズいと思い、一大決心をして37歳にて転職したのだった。

そして今である。自己分析するに私はおそらくサラリーマンには向いていない。なぜなら自由を重要視するからである。自由であればあるほど幸福を感じるタイプの人間だ。自分の両親はそれにいち早く気づいておりかねてから自分はサラリーマンには向いていないと言われた。小学校の頃に書いた絵を褒めてくれて、なにか一芸を元に専門職に就くのが向いているだろうと。ただサラリーマンだけが安定して幸せになれると信じていた両親はそれ以外の選択肢を私に選ばせることは難しかっただろう。適応能力だけは高いためなんとか誤魔化してここまで来たがおそらく根本的に向いていないとつくづく実感する。

自分が早い段階から投資に興味を持ったのも、サラリーマンとして働くことをやめて金銭的に自由になりたいと思っていたからである。今のところ上手く行っているほうだろう、ただ働かないで不労所得で生きるという目標はまだまだ道半ばである。

自分はこの先どうすればいいのだろうか。分かりやすい目標(結婚・出産・家購入)はある意味幸福かもしれない。特に疑問を持たず目の前にある課題に取り組み、クリアしていけば達成感もあるだろう。価値観はどんどん多様化していき、分かりやすい目標を人々が持たなくなった時、どれだけ幸福度を感じることになるのだろうか。人と同じであるべきと教わってきた世代の人々がいきなり多様化の海に放り出された時、途方に暮れて海をただ眺めることになりそうだ。

心が震える

進撃の巨人1シーズン目でミカサがエレンが死んだことに絶望してこのまま諦めてしまうか、という場面でこのまま自分が死んでしまったら思い出すことすら出来ないと気づき、うぉー!と立ち直る場面があるんだけど、そのシーンが大好きでたまに見返したりしてる。

諦めてしまったら試合終了とか言うけど、別に諦めること自体はいいと思う。お金が稼ぎたい人がそれを諦めて違う人生の楽しみを見出してもいいし、恋人が欲しい人がそれを諦めて大切な友達を作ることに目を向けたっていい。諦めることで初めて見える違うことに目を向けてもいいと思う。

それより問題なのは視野の狭さなのではないかと思っている自分がいる。視野が狭いと諦めることすれ出来ず、勝ち目の薄いゲームをひたすらやることになる。そもそもそのゲームにエンディングすらないかもしれない。

先日、大切な友達が東京を離れて地元に戻るということを聞いた。珍しく熱くなり人生論的なサムシングを語ってしまった。今思い出しても恥ずかしいしお酒が入っていないと出来ないことだ。彼は地元に帰って結婚して、お店を開くかもしれないと言っていた。おれは結婚することが彼にとって幸せなのだったらそうしたらいいし、もし結婚しなかったとしてもおれは君を応援するよ、ということを繰り返し言っていた。

結婚をする、お金を稼ぐ、モテる、世間でいう「良いこと」が本人にとって必要なのかどうか、は別の問題だ。「良いこと」を求めるあまり、本来自分がなにがしたかったのかを忘れてしまう、なんて人を沢山見てきた。世間では「良いこと」を沢山持っているはずなのに、すごく寂しそうな眼をした人を見ておれはなにを言えばいいのか分からなくなる。

もうすぐ年の瀬だ。宗教に興味が無い自分でも毎年お寺に行くと来年の抱負を考えたりする。今年の抱負は確か自分の成長だった気がする。ありきたり過ぎて神様も聞き飽きたような目標だけど仕事が上手くいっていることを考えると概ね達成したのかもしれない。また新しいことに挑戦出来たって意味ではかなり満足している。来年の目標は「心を震わす」にしたい。それは安定をなるべく捨てて挑戦者で居たいってことだ。いい歳なんだから、とか男なんだから、とか死ねばいいと思ってる。常に挑戦するヨボヨボのおじいちゃんとか最高に格好いいのに。君はどう?

結果を求めるのか、結果にたどり着くまでの過程を評価するのか

「私は『結果』だけを求めてはいない 『結果』だけを求めていると人は近道をしたがるものだ……近道した時真実を見失うかもしれない」「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」「おまえの真実に『向かおうとする意志』はあとの者たちが感じとってくれているさ 大切なのは……そこなんだからな……」(『ジョジョの奇妙な冒険』第59巻より)

 

6月からパートナー探しを行っているが、今のところ結果は芳しくない。相手が若すぎて相手のニーズと自分のニーズが合っていないからなのだろう。年齢層を上げればもっと結果は変わってくるし、そういうアプローチ方法を取ればなんとなく結果は良くなるのだろう。という予想はある。3

 

ただ今の方法を続けてみたい、と思っている。そしてそんな簡単にゴールにたどり着いてしまうことを良しとはしていない自分がいる。

思えば27歳の時から常にパートナーがいる状態だった。それはとても幸運なことなのだろう。今思い返せばそう思うのだが、常に相手に気を使っている状態だった。そして優しい自分は相手の欲するものを受けて入れてしまい、自分を見失ってしまった。結婚はその最たるものである。

 

4月~5月はその呪縛から解放されて久しぶりの自由に酔っていた。ただその後に襲ってくる寂しさからパートナー探しを始めたのだが、あまりうまくいかないことが功を奏したのか客観的に自分を見れるようになり、果たして今求めている人が自分の理想の人なのか十分に再考する時間があった。そしてこれが最大の問題なのだが、パートナーが出来るとそのパートナーは自分に経済力を求めてくることが多く、自分が目標としている資産形成に影響が出る可能性がある、ということだ。

 

今の時代、自分で自分をなんとかする必要がある。残念ながら日本の先行きはかなり重い。少子高齢化により税金は上がる一方である。親から資産を受け継ぐと言っても正直あまり大船に乗った気分ではない。そのような物に頼るより自分でなんとかしたい。

 

今自分がするべきことは体を鍛え、健康に投資をして、学問を身に着け、自分を磨くことである。その磨いた先になにかあるような気がしている。相手に合わせて付き合うことは出来るが、果たして自分にとってパートナーが本当に居たほうがいいのか、それはこれからも自問自答することになりそうだ。

勇気と油断

去年37歳にて転職を決意した時、まず最初にこの年齢で入社させてくれるところなんてあるのだろうか、という疑問だった。転職は30台前半まで、とリアルでもネットでも聞くことは多かったし30台前半までしか年齢が選択出来ない転職サイトもあった。 もう始める前からすでに戦々恐々という状況だったのだが、このまま前の会社に居ても絶対に未来が無いことが分かってしまったため、転職せざるを得ない状況であった。パワハラ上司に評価ロックをされてしまい、消費税対応を完璧に行ったのに最低評価を付けられてしまったからである。一生評価されないでいいのであればそのまま残る選択肢もあるにはあったが、もうなんの仕事でもいい、タクシードライバーでもいいぐらいのもはや捨て身の覚悟で転職を決意したのが去年の7月、ちょうど今から一年前である。

 

今でこそ笑い話というか、転職したい→けど状況的に無理→でも希望もない という思考のループにハマり、会社から帰る途中、駅まで歩いていると足が止まってしまい、動けなくなってしまったことがあった。いくら考えて考え抜いても答えは出ない、行動してみないとなにも変化が無いことは頭では分かっているんだけど、前回の転職活動で苦い思いもあり、つい悪い想像をしてしまっていた。また転職なんて考えるだけでも苦しい、という状況であった。

 

そんなネガティブエンドレスループを抜けたのは勇気ではなく、捨て身しかなかった。人は評価されない状態が続くと勇気は無くなってしまう。また会社でそんな状況を相談出来る人間はあまり居なかった。もういいや、いくら考えても答えは出ないし最悪ホームレスになっても食べていけるや、と捨て身になりお昼休みに「転職する」と決めた時、ふと空を見たら雲の間から光が指してあり、それがお前の進む道だ、と言わんばかりの光景だったのを深く覚えている。

 

そんなピンチな状況であっても持ち前のポジティブというか物事を肯定的に捉えるというか、当てつけというか馬鹿な性格が結局自分を救うことになった。

 

人生のピンチにおいてこそ人の本性は出るが、あの時の自分の状況にてとりあえず会社を辞めて逃げてしまったり、行動を起こす勇気さえなくそのまま苦汁をなめたりするケースは多いのかもしれない。自分がこんな性格なのは両親が愛情を注いで自分を育ててくれたおかげだと思ってる。両親には感謝してもしきれない。

 

最近は勇気を出して失敗した、ということより、勇気を出して本当によかった、と思えることが多い。ということは勇気がまだ少し足りない状況なのかもしれない。体感的には9:1ぐらいで良かったと思えている。

 

一方、自分の価値観だったり今の状況に甘えてしまうことだったり、人はすぐに油断してしまう。勇気と油断のバランスが自分にとって一番重要なことなのかもしれない。

個人情報を一切明かさない同僚

前記事のバグースで働いていた時の個人情報を一切明かさない美女がいた。Kさんとしよう。

 

同じシフトで入ることが多くKさんのほうが一カ月ほど先輩だったので色々と指導してもらっていた。ちゃんと的確に指導してくれて動きもテキパキとして仕事が出来そうな人だった。

たぶん自分と同じぐらいの年だったように思えるが、フリーターっぽい雰囲気もあった。休憩時間が被った際に学生ですか?と聞いた際

 

おれ「Kさんは学生さんですか?」

K 「いやー、ちょっと言えないんだよね。。。」

おれ「なるほど、色々やってる感じですね」

K 「そうだね~」

おれ「出身は東京ですか?」

K 「いやー、ちょっと。。。千葉に近いかな」

 

という具合でなに一つ個人情報を一切明かさない人だった。そして名前も本名ではない的なことを言っており、なんだこいつヤバイ奴だなと思いながら適当に喋っていた。

同じ時間にバイトが上がる時があり、駅に向かう途中に自分がどこかでご飯を食べてから帰ります!と告げて去ろうとした際にKさんも行きたいという話になり、一緒にご飯を食べることとなった。

 

当時歌舞伎町はヤクザも居たし今より治安はかなり悪かった。Kさんはバイト中はテキパキしているのだが喋り方に特徴がある。物凄くゆっくり喋り、常に目がトロンとしていた。ただのそういう性格という認識だったが、1%ぐらいの確立でなにかしらのお薬をやっていてもおかしくはない様子だったし、なにか風俗的な仕事をしているから素性を明かせないのでは、と下衆な勘繰りもしてしまった。

 

ただとても綺麗な人だったし大学生だったおれは猿だったので、お酒の力もありなぜか家で飲みましょうという話になってしまった。

家につきベットのそばに二人で座りいよいよだな、と思った瞬間に自分の中の守護霊が「こいつはやめておけ」というはっきりとした声を聴いた気がした。結局その日は楽しく家飲みをして当時流行っていたゴールデンエッグスを仲良く見ることになった。ブラじゃないよ、と言いながらKさんは朝方の綺麗な空に帰っていった。

 

その後も2,3回ご飯に行ったが結局一線を越えることなく、自分はイギリスに行き携帯を変える際に連絡先が分からなくなり連絡を取ることは無くなってしまった。

TBSラジオで東京ポッド許可局という番組があり、その中で「あの人は今」というコーナーがある。今は連絡を取っていないけどあの人は今なにをしているんだろう、とふと気になる人を毎回取り上げるのだが、おれの中ではKさんである。

 

もし仮にKさんと今会える権利があったとしても、聞きたいような聞きたくないような。子供が3人ぐらいいる幸せな家庭を持っていたら嬉しい。

 

歌舞伎町で働いた時の話

大学4年の時に新宿歌舞伎町でバグースというビリヤード・ダーツの店で半年ほどアルバイトをしたことがあった。店長が小太りの元ヤンみたいな人でバイトに対して暴言を吐いたり上から目線での叱咤をするので、死ぬほど嫌わていた。

 

自分は学生自体に雀荘ドン・キホーテ・コンビニ・軽作業など色々やっていたがどれもあまり長く続かなかった。唯一雀荘だけが一年ぐらい続いた。

アルバイトは時給制だが、時給制となると残り時間はあとどれぐらいか、ということに気を取られてその結果いかにサボるか、みたいな思考になってしまい、そんな奴が使える訳は無いのでどのバイトも長くは続かなかった。雀荘は単純に麻雀が好きだから続いたのだろう。

 

そんな訳でバグースでのバイトも長く続くわけはなく、イギリスに留学するまでの凌ぎとしてとても軽い気持ちで始めたものだった。

バイトの面接の時に軽い自己紹介をしたのだが、なぜか話の流れで自分はコミュニケーションに自信がある陽キャです!みたいなことを言ってしまい、引っ込みがつかず陽キャとしてアルバイトデビューをすることとなる。地獄だ。

 

店長がそんな感じなので店の雰囲気は最悪で物凄いギスギスしていたのだが、店長に冗談を言ってみたりインカムでふざけていたりしたら、なぜか店長に気に入られて仕事終わりに一緒にビリヤードをやったりする中になった。

仕事以外での店長はいい奴で話も面白かった。いわゆる不器用なタイプでちゃんと仲良くなれば面白いし地元の友達が多いタイプ。店長ということで威厳を見せようとするうちに残念なことになってしまったようだ。

ビリヤードの腕前もすさまじく、ナインボールをやって自分が一回も打たずに負けたのは初めてだった。友達とのプレイで調子に乗っていたおれのプライドは0になりそれ以降バイト先ではビリヤードをやったことが無い奴という設定になった。

 

このバグース事件は自分の中で革命的な出来事だった。無理やりテンションを上げて楽しむうちに本当に楽しくなり、またコミュニケーションで人を助けることが出来た、ということだ。次第に店の雰囲気も良くなり、アルバイト同士で飲みに行ったり自分の個人情報を一切明かさないという謎のアルバイト美女と仲良くなったりした。この人のことは今でもたまに思い出すぐらい謎めいた個性的な人だった。

結果的にはいいことだらけだった。

 

夏前になりいよいよアルバイトを辞めなければならない、と店長に告げた時もこのバイト先を辞めたくない、と思ったのは初めてだった。そして店長に日本に戻った時はいつでも連絡してくれ。戻ってきてくれと言われたのも初めてだった。お世辞であっても最高に嬉しかったのを覚えている。

 

その後アパレルの管理部門に就職するのだが、お店の店長さんにシステムを教えるというまさにコミュニケーションが必要なポジションだったのだが、バグース事件のおかげでなんとか乗り切ることが出来た。また新人だった自分が仕事を教わるのにも随分と役に立ったのを覚えている。

 

仕事なんて会社と人との契約でしかないので、会社側がちゃんと1から10まで指示するのが当然だし、指示されていないことを期待するほうがおかしいと思う。今でもそう思っているがきちんと指導してくれたことは一度も無かった。現実は理想とはほど遠かったのを覚えている。

 

今でも歌舞伎町に行く度にあの時のメンバーは今どこでなにをしているんだろう、なんて思いながら酒を飲んでいます。