心が震える

進撃の巨人1シーズン目でミカサがエレンが死んだことに絶望してこのまま諦めてしまうか、という場面でこのまま自分が死んでしまったら思い出すことすら出来ないと気づき、うぉー!と立ち直る場面があるんだけど、そのシーンが大好きでたまに見返したりしてる。

諦めてしまったら試合終了とか言うけど、別に諦めること自体はいいと思う。お金が稼ぎたい人がそれを諦めて違う人生の楽しみを見出してもいいし、恋人が欲しい人がそれを諦めて大切な友達を作ることに目を向けたっていい。諦めることで初めて見える違うことに目を向けてもいいと思う。

それより問題なのは視野の狭さなのではないかと思っている自分がいる。視野が狭いと諦めることすれ出来ず、勝ち目の薄いゲームをひたすらやることになる。そもそもそのゲームにエンディングすらないかもしれない。

先日、大切な友達が東京を離れて地元に戻るということを聞いた。珍しく熱くなり人生論的なサムシングを語ってしまった。今思い出しても恥ずかしいしお酒が入っていないと出来ないことだ。彼は地元に帰って結婚して、お店を開くかもしれないと言っていた。おれは結婚することが彼にとって幸せなのだったらそうしたらいいし、もし結婚しなかったとしてもおれは君を応援するよ、ということを繰り返し言っていた。

結婚をする、お金を稼ぐ、モテる、世間でいう「良いこと」が本人にとって必要なのかどうか、は別の問題だ。「良いこと」を求めるあまり、本来自分がなにがしたかったのかを忘れてしまう、なんて人を沢山見てきた。世間では「良いこと」を沢山持っているはずなのに、すごく寂しそうな眼をした人を見ておれはなにを言えばいいのか分からなくなる。

もうすぐ年の瀬だ。宗教に興味が無い自分でも毎年お寺に行くと来年の抱負を考えたりする。今年の抱負は確か自分の成長だった気がする。ありきたり過ぎて神様も聞き飽きたような目標だけど仕事が上手くいっていることを考えると概ね達成したのかもしれない。また新しいことに挑戦出来たって意味ではかなり満足している。来年の目標は「心を震わす」にしたい。それは安定をなるべく捨てて挑戦者で居たいってことだ。いい歳なんだから、とか男なんだから、とか死ねばいいと思ってる。常に挑戦するヨボヨボのおじいちゃんとか最高に格好いいのに。君はどう?