結果を求めるのか、結果にたどり着くまでの過程を評価するのか

「私は『結果』だけを求めてはいない 『結果』だけを求めていると人は近道をしたがるものだ……近道した時真実を見失うかもしれない」「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」「おまえの真実に『向かおうとする意志』はあとの者たちが感じとってくれているさ 大切なのは……そこなんだからな……」(『ジョジョの奇妙な冒険』第59巻より)

 

6月からパートナー探しを行っているが、今のところ結果は芳しくない。相手が若すぎて相手のニーズと自分のニーズが合っていないからなのだろう。年齢層を上げればもっと結果は変わってくるし、そういうアプローチ方法を取ればなんとなく結果は良くなるのだろう。という予想はある。3

 

ただ今の方法を続けてみたい、と思っている。そしてそんな簡単にゴールにたどり着いてしまうことを良しとはしていない自分がいる。

思えば27歳の時から常にパートナーがいる状態だった。それはとても幸運なことなのだろう。今思い返せばそう思うのだが、常に相手に気を使っている状態だった。そして優しい自分は相手の欲するものを受けて入れてしまい、自分を見失ってしまった。結婚はその最たるものである。

 

4月~5月はその呪縛から解放されて久しぶりの自由に酔っていた。ただその後に襲ってくる寂しさからパートナー探しを始めたのだが、あまりうまくいかないことが功を奏したのか客観的に自分を見れるようになり、果たして今求めている人が自分の理想の人なのか十分に再考する時間があった。そしてこれが最大の問題なのだが、パートナーが出来るとそのパートナーは自分に経済力を求めてくることが多く、自分が目標としている資産形成に影響が出る可能性がある、ということだ。

 

今の時代、自分で自分をなんとかする必要がある。残念ながら日本の先行きはかなり重い。少子高齢化により税金は上がる一方である。親から資産を受け継ぐと言っても正直あまり大船に乗った気分ではない。そのような物に頼るより自分でなんとかしたい。

 

今自分がするべきことは体を鍛え、健康に投資をして、学問を身に着け、自分を磨くことである。その磨いた先になにかあるような気がしている。相手に合わせて付き合うことは出来るが、果たして自分にとってパートナーが本当に居たほうがいいのか、それはこれからも自問自答することになりそうだ。